昨日、亭主 船戸博子先生にお招きいただいて、お茶事を楽しませていただきました。
ご一緒させていただいた坐禅断食の野口法蔵ご夫婦の心からのお話をたくさん聞かせていただきました。
船戸崇史先生も坐禅断食と五体倒地をずっと続けておられます。
お話を聞きながら、滝行や坐禅断食の意味を3つの幸せで感じてみました。
もっと悟りたいというエゴ、自己実現したいのエゴ、ねばならない・こうあるべきだのエゴはあります。お金やお仕事に窮していないので、手放していないけど、貪欲に求めてもいないので、エゴの幸せはマルですね。
きずなは十二分に充たされています。お二人とも奥様に愛されていますから、二重マルです。
病気・健康は・・・これもマルです。
そこで、気づきました。
断食や難行苦行は、自ら肉体を仮想の病気状態にして、3つの幸せがそろわないようにしているのです。3つそろうと、「上がり」で死んじゃいますから。
たしかに経営や研究などの創造的リーダーは、坐禅や修業が大好きです。それもどちらかというと、難行苦行タイプを好まれます。
人生を、今を楽しみなさい、と光は言います。
だから、さまざまなエゴを手放さず、求めすぎずの良い感じのまま楽しみましょう。
きずなが深まり、拡がっていくのを感謝して楽しみましょう。
それでいいのです。
もちろん、お金も仕事とプライドも信用もどん底まで落ち込んで、あるいは、ボロボロに裏切られ、人を自分を信用できなくなるまで落ちて、エゴやきずなの精妙な意味を悟るのも結構なことです。Everything is OK ですし、悟っても、悟らなくても、今を楽しむことにはあんまり差なんてありませんから。
難業苦行も同じこと。五体倒地を100万回やっても、子供がクレヨンで描いた夕日の絵やお花とチョウチョの絵には勝てませんからねぇ。
もうひとひねりすると、エゴの幸せに気づくには、左脳社会に適応しすぎ、うまくいきすぎてしまっている。きずなの幸せに気づくには、相棒に愛されすぎている。肉体だって大丈夫だ。だったら難行苦行をして、神さまに「私は健康じゃありませんよ。3つの幸せはそろっていませんよ」とアピールしなくちゃね。本能的に、あるいは、神さまにやらされている・・・のかも。
3つの幸せが神さまが人間の生きる&死ぬを決める根本原則だから、神さまがこいつはもうちょっと生かしておきたい、と思うと、いきなり悟ったかのように、難業苦行をやり始めさせるのかもしれません。
昨日のお茶事で、一番「これでいいのだ」を悟っていたのは、博子先生と師匠の加藤先生でした。
お二人とも、3つの幸せから「解脱」してしまっているように感じました。
もうすでに、新しい合一:ユニティの世界:愛の世界に住まわれているようなステキなお二人です。
そうです、神さまの3つの幸せは、3つそろうと「上がり」で死んじゃいますけど、3つを手放せると(無垢だけど深遠な悟りです)解脱できちゃうわけです。なんだぁ、簡単だぁ・・・。これでいいのだぁ。
ということで、わたしなりに「これでいいのだ」茶事を存分に楽しませていただきました。いっぱいの気づきをありがとうです。
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