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2008年12月

のほほん日記 寒い? 20081226

寒いですね・・・と言おうとしたら、冬の妖精さんが言いました。

身体のぬくもり、そう、生きていることに気づき、生きていることに感謝して、生きる喜びで笑い合って、生きることを存分に楽しんでほしいの。

それは冬だからできる、とっても大切な気づきだよ。

自分に感謝するの。自分の生に驚くの。自分ってすごいんだぁ、ってね。
自分を認める。自分を許す。自分を愛する。
それはね、寒い寒い冬から始めるんだよ。

冬の寒さって、どれくらい?
0度? マイナス10度? マイナス20度?
絶対0度でどうだ!(と言いながら、冬の妖精さんたちが笑い転げてます)

こころの寒さは無限だよ・・・

宇宙で一番冷たいんだよ・・・

・・・(言葉が返せない私)・・・

寒さは、生きるってことを教えてくれます。
内なる温かさのうれしさに気づきます。

こころの寒さを教えてくれます。
内なる温かさの使い方に気づきます。

ひとりじゃないんだよ、ってことを教えてくれます。
和の温かさのきずなに気づきます。

冬の寒さって、すばらしいでしょう!

バラさんも桜さんも、冬の寒さがあるから、花開くのです。
(なんて言いながら、雪見大福をほおばっている冬の妖精さんたちでした)

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のほほん日記 ラーマクリシュナ 20081222

今朝は雨。
さすがに早朝診察に訪れる方も少なくて、ゆっくりと今書きたい本の資料を探すことができました。つれつれとつながっていくうちに、ラーマクリシュナに出会いました。お名前は知っていましたが、教えに触れたことはありませんでした。今朝、そのエッセンスに触れて、とても嬉しく思っています。
すべてがピッタリと、今の自分の想いと重なって・・・この雨雲の上の金色の輝きのやうに、うちなる至福感に満たされています。
神さまの新年(冬至明け)の贈りものですね。
感謝、感謝。

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多くの宗教を遍歴したラーマクリシュナの教えは非常に寛容なものである。世の中の様々な宗教は究極の一なる神がそれぞれの時代と人に合わせて現れたもので、各々が意義を持つ。究極の一に至るために人は自分に合った道を行けばよいという。 彼は「宇宙の母なる神は子供たちのお腹に合うように料理を作って下さる」という喩えを用いている。子供の消化力や好みに合わせて母親が色々な料理をこしらえるように、神は国と時代と容器(人の理解力)に応じて色々な宗教を作るということである。
神は有形か無形かという論争などもラーマクリシュナにとっては上辺のつまらぬ対立に過ぎない。ブラフマンは無相無形であるが、人間の信仰の力、神への愛に応じて有形の人格神となって現れる。だから一見神は様々な形をとっているように思われるのである。ある1つの形をとった神が正しく、他の形が間違っているといったものではない。神の様々な形は神の人間への愛の現われなのだ。無性のブラフマンを知るためには自我を完全に滅却する必要があり、普通の人間には難しい。一方、有形で人格を持つ神の方は親しみやすい。人の個性は様々であるから、人と神との繋がりもまた様々である。神と繋がるための具体的な手段としては宗教儀式や偶像崇拝がある。迷信として非難される偶像崇拝もラーマクリシュナは「真珠を育成するために必要な母貝」として称揚する。それによって神を愛せるならば偶像大いに結構とするのである。
神に近づくための方法は様々とはいえ、神以外のものに目が向いているようではことは始まらない。世俗のことに夢中になりがちな人々にラーマクリシュナは盛んに警告する。特に金と女に心を奪われているものを非難する。人望、学問、その他細々としたことも神に比べればくだらないことばかりだという。絶対の価値を知った人間にとって、相対的な価値はもはや無意味ということだ。
世界はすべて「神」そのものであるから「私」などというものは本当はないという。しかし我執によってそれが分からなくなってしまう。「私のもの」「私の行為」という無知から来る考えによって。私とは本来神の道具のようなものに過ぎないとラーマクリシュナは説く。
神は全ての人のうちにいる。しかし全ての人が神のうちにいるわけではない。これが人々の苦しむ理由である。「私」と「神」を分離している無知が「私」を苦しめるのだ。しかし肉体として生きる限り「私」を完全に消すのは難しい。ならばせめてその「私」は神に委ねよとラーマクリシュナは述べる。神に全てを委ね、神を愛するバクティ・ヨーガの道が普通の人間にとっては最も易しい。自己を制して欲望を超越しようとする他のヨーガは強い精神を要する困難なものだ。バクティは意識的に欲望を抑えるのではなく神への愛に夢中になって感覚の楽しみを忘れるのである。バクティは自然に欲望を食いつくす。
神の下で休らっているラーマクリシュナは楽観的だ。世界は神の遊戯であるという。神は何かの目的があって世界を造ったのではなく、遊びとして世界を造った。善と悪、幸と不幸などの対立があるのもゲームを続けるためということになる。あらゆるものは神の働きなのだから、全てを受け入れる。それが神である限り、世は幻だといって切り捨てたりしない。彼にとって神の遊戯活動も永遠不動も同じものであり、皆ありがたく戴くべきものである。「皆戴かないと目方が減るもの」と彼は言う。
現世志向というわけでも、来世志向というわけでもない。ラーマクリシュナはただひたすら神志向であったといえる。神だけが実在で、他は全てはかない幻。どんな形であってもよいから神を信じ、愛し、我が物にすることだけに心を注ぐべしというのが彼の核心的な教えであった。

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WALL-E

映画「WALL-E」を観てきました。
マックの隠しアイテムがいくつも出てきて、私はひとりでウケてました。
ロボットの恋の物語。
アメリカの子供たちは喜びそうです。
ポニョを観てしまった私には、新しい「愛の世界」へアメリカの人たちがひとりでも多く目覚めていただけるのを祈るばかりです。

今日は、気持ちエナジーが凹んでしまったので、リフレッシュのために(ちょうど木曜日で午後はお休みだったし)観た映画です。

完全デジタルのディズニー映画ですが、デジタル・アニメがどことなく不自然で世界が違うよなぁ、と感じました。宮崎監督がポニョをアナログにした意味がなんだかすごく感じられた気分です。

きずな みんなとのつながり 「和」という言葉が日本から世界へと拡がっていきそうな予感がしています。
今年の言葉は「変」でしたが、来年は「和」になりますように。

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みんな よくなっているよ

最近、こころの病気の方々で、ずっと通院されている方々が、急に良くなっています。
この春〜夏頃、ムチャクチャに落ち込んで、どん底状態だった方々が、急に良くなっているのが特徴です。良くなった理由は・・・わかりません。
薬も増やしたりしてますが、なんだか突然、吹っ切れたように、良くなっています。
これもエネルギーシフトの影響かしらむ?
まぁ、結果オーライで、一緒に喜んでいるわけです。

数は少ないけど、難病と言われている方々も(ずっと何年も通っている方々限定のお話だけど)急に良くなっています。
なんでかな?
まぁ、これも結果オーライなわけで。

だからね、新しい年に、とってもワクワクしちゃっているのです。
きっと、絶対に、もっとすばらしいことが起こりますよ。

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のほほん日記 20081217

今朝は雨あがりです。

「死に方」の本の土台を練ってます。いろいろメッセージや知恵が降ってきたり、いろんな気づきのための出来事が起こっています。

あけぼのに漂う、覆い尽くす雲は、死ぬ時に持っていた、抱いていたネガティブな感情です。
悲しみ、恨み、悔しさ、憎しみ、後悔、怒り、恐れ・・・

死んだら、天国に行く! 地獄に堕ちる! 成仏しない! と頑なに信じ切っていれば、想念の現実化で、信じている世界を具現化しちゃいます。まぁ、それはそれで善しと。

死んだら・・・そんなことはわからないよ、生きてるからいいじゃん、まぁこんなもんでしょう・・・なんて信じるものも知恵もなければ、死んだ時に持っていたネガティブ&ポジティブな感情、こころの奥深くに抱いていたネガティブ&ポジティブな感情の雲の中で「死んじゃった」ことに気づきます。

誰もが光の子
だから、光の本質は、とっとと大いなる光へ戻っていこうとしますから、遅かれ早かれ、雲を突き抜けて、大いなる光へと戻ってはいけます。
ただね・・・
この雲の中でしているのは、ネガティブ&ポジティブな感情エネルギーに右往左往に翻弄されながらの「今生の反省」であり「カルマの創造」です。

ディズニーランドに初めて行った人と100回目の人がいました。ジェットコースターに乗りました。
初めての人は何でもワクワクドキドキです。うわぁ〜、すごかったねぇ、楽しかったねぇ、もう一度乗りたいねぇ、とニコニコ幸せ顔です。
100回目の人は、攻略ブックや反省ノート片手に真剣そのものです。ここでバンザイして、あそこで叫んで・・・イメ・トレで頭がいっぱいのまま乗り込みます。帰ってきたらすぐに反省会です。次はあそこで・・・、今度こそは・・・。あいつはすごかった、こいつには勝ったぞ・・・。
ふたりに「楽しかった?」と聞けば、「楽しかったよ」と答えてくれます。
初めての人は、感性で楽しめました。直感力が喜びでビリビリ震えています。夢に出てきそうなくらい、ただ楽しめました。
100回目の人は、左脳で楽しめました。眉間にしわが寄っていても、本人が楽しめたのならオーケーです。
人生は学びの学校だ! 魂を磨くんだ! はい、そうですね。オーケーですよ。
今を楽しみましょう。人生を、生きることをただ、すなおに、あるがままに、楽しみましょう。 はい、これもオーケーです。
なんでもありで、どれも正解ですから。
それはいいかげんすぎるんじゃないの? ですかぁ・・・
はぁ、それが大いなるひとつの光ですからねぇ。

朝日が昇ってきて、雲が金色に輝いていました。
雲は人生でのさまざまな感情かもしれませんが、それも単なるエネルギーであって、光を当てれば、どんなにネガティブに思えていても(それも幻想であり、創造なわけだから)金色に輝いて、大いなる光と同化(もしくは浄化されて)してしまうのです。
意識が雲を突き抜けて大いなる光に導かれながら、下を見ると・・・
金色に輝く雲海が見えるわけですよ。
だから、「もう一回、人生をやりたい!」と思っちゃうわけでしょう。

だって、美しいもの
こんなに楽しいもの

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のほほん日記 20081215

真っ暗な空に茜射してゆくさまを毎朝、見ています。
今朝も 美しかったぁ。

晴れ渡った朝、まだお日さまは昇ってきていない朝
今日はなぜかオープンで走りたくって
(不思議と寒さはまったく感じなかった:やっぱりメッセージだったんだね)

いつもの信号待ちで・・・わかりました!
光と闇の合一:ユニティそのものを
美しく見せてくれているのです。

夜の闇と太陽の光
二元性そのものです

闇と光がみごとに溶け合っている瞬間
闇と光がミルク色に包まれている感じで溶け合っていて
美しく・・・ただ愛そのものです。

その美しさ、すばらしさに気づいて、もう嬉しくて嬉しくて
お釈迦さまの気づきの瞬間って、こんなだったんだね

夜の闇の中で、すべてが浄化されているから
空も空気も大地もすべてがキラキラ輝いています
そんなすべてを包み込んでいるキラキラが愛そのものなのでした
闇も光も愛で包み込まれて、溶け合ってしまうのです

新しい一元性の世界は「愛」の世界
神さまがしっかりと見せてくれました。
すべてに感謝です。

ぽるか君(私の妖精さん)が教えてくれたのですが、
昨夜の満月から、俗に言う「フォトンフィールド」がよりはっきりと見える・感じ取れるようになるそうです。
人々はそれぞれが集まるべきところに集まっていくそうです。
今朝の愛と美に向かって進みなさい、と言われました。
みなさんに、この愛と美が伝わりますように

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過去生を見る・光と対話するということは・・・

 スピリチュアルな感性と素直なこころの目があれば、だれでも過去生を見て、光と対話できます。
 こどもの頃、サンタクロースがクリスマスにやって来る、と信じていた人は、大人になっても、本当はだれでも過去生を見て、光と対話することができます。
 過去生が見えない・光と対話できない原因は、左脳>>右脳になってしまっていることにあります。左脳と右脳がアンバランスになってしまっている、つまり、素直にあるがままに感じること:直感を忘れて、考えること&分析すること&比較することだけの毎日になってしまっているのです。
 人間はずっと二元性の世界を生きてきました。二元性とは、勝ち組vs負け組であり、正邪であり、善悪であり、優劣であり、左右や上下です。歴史の評価を見ればわかるように、その時代や政治や権力者によって、勝ち組vs負け組の評価はコロコロと変ってきました。どれが真実なのか? 何が価値なのか? 永遠にわからず諸行無常になってしまうのが二元性です。
 スピリチュアルとは、「目の前の現象・事象には必ず意味がある」のだから、過去も出来事も目の前の出来事も、二元性に染まっていない「神の目:第三の目」で少し上から眺めながら、その意味に気づくことです。
 過去生を見る&光と対話することを繰り返すと、こころが素直になっていきます。途中、左脳社会を生きるために植えつけられ、大切に握りしめてきた様々なエゴが一枚一枚剥がれ落ちていく試練をくぐり抜けると、ある時、光とひとつになる体験がやって来ます。A-HAや悟りや第三の目の開眼と呼ばれている瞬間です。
 直感が冴え、光からのメッセージが直接わかるようになります。妖精や天使や亡くなった人の魂を感じたり、意識が時空間に捕らわれないようになります。アカシックレコードにアクセスしたり、地球意識や宇宙意識と繋がることもできます。チャネラーや預言者になることも出来ますが、ビジネスや創造・芸術に左脳と右脳の絶妙なバランスのもとに、飛躍的な成功を手に入れることもできます。
 共感力が高まり、まわりの人たちの魂の光を感じるようになります。攻撃的な人やネガティブな人はどんどん遠ざかっていきます。素直なこころの人たち、あるがままに生きている人たちとの深いきずなが結ばれていきます。ソウルメイトが自然に集まってきます。
 そして、エゴが創造の源として輝き(生きる意味&天命)、ワンネス:みんなひとつ のきずなで結ばれ(孤独&恐怖の消滅)、失うことのない永遠の幸せを手に入れることができます。
 過去生を見る・光と対話することは、永遠に変わることのない自己実現であり、悟りへのone wayなのです。

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のほほん日記 宣言!しましょう 20081209

光の前世療法のお話。
光の存在に尋ねて、返ってくる光のメッセージは、とてもシンプルな言葉ばかりです。
愛しなさい・・・
もうあなたは許してますよ・・・
大丈夫ですよ・・・

だから、自分で作っているように思ってしまう方もおられます。
本を読みすぎたから・・・
元々、知っていることばかりだし・・・
そうです、そして、せっかくの光のメッセージを引き出しの中に放り込んだり、シュレッダーにかけてしまうのです。

光からのメッセージは、もしかしたら、自分で創っているのかもしれません。
でも、いいじゃないですか。
光の存在の前で、自分の本当の気持ちやこれからの意志を高らかに宣言しているのだから。
想念の現実化や夢を叶える、引き寄せるためには、声に出して宣言しましょう!と言われています。
光の中で、光の存在の前で、自分自身のすべてを宣言するなんて、最高でしょう!

ワークの後は、後向きにグズグズ考えたり、思い悩んだり、心配したりしないで、
「私って、やっぱりこんなことを想っていたんだ」
「こんなことが人生の目的で、使命で、天職で、いろいろあるけど、今が一番順調なんだ」
「あんなステキな未来に向かっているんだ。これでいいんだ。大丈夫なんだ」
と、素直に喜んでいただけたらなぁ。
そして、あとはメッセージも忘れてしまって、「神さまに、お前は大丈夫だ。順調だ、と言われたんだよ」なんて、友だちもアホらしくなって笑い出してしまうくらい「光の宣言」を手放してしまえればなぁ。
これが「光の法則」なのです。

P.S.
すなおに、あるがままに、今の自分ってこんな感じだけど、好きなんだなぁ、と言いながら、今をジタバタ生きている人が、実は、光のメッセージで悟られるのですよ。これホント。

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のほほん日記:追記 20081208

博子先生のお茶室の水は、井戸から組み上げたお水です。
とてもおいしいお水です。
それを炭とお釜と、そうそう、美しいフルートの音色で大吟醸にして、お白湯でいただきました。
お水とお話をしました。
洞戸のそのあたりに、昔々、隕石が落ちたのです。
このお水は、その隕石の生まれ星のエネルギーがこもっているそうです。
どこの星?
パッと北斗七星が見えました。
昔から、洞戸の山中にある滝に、たくさんの行者さんが集まられたそうです。
なるほどね。なにか惹かれるエネルギーを感じたのでしょう。
どんなエネルギーなの?
きずなを育み、花開かせるための大切なエネルギーなのだそうです。
たしかに、昨日のお茶事はそのまま夜咄になりましたが、お茶室で輪になったみなさんのきずながどんどん大きく太く育っていくのが感じられました。
あの水でお茶を一服いただくと、こころが素直に通じ合うような気がしました。
きずなの水 © ですね。

今夜のぽるか君も、相棒を連れて登場です。
ぽるか君はブルーで、相棒はオレンジぽいオーラを感じます。
相棒のお名前は?
ぽるんかちゃん(ぽるかちゃん というので、それはあんまりだから、小さな「ん」を入れました)
なんでおんなじ名前のしたの? と聞くと、ふたりでこちらを指さして大笑いしてます。・・・???
まぁ、いいか、そのうちわかりますからね。
ぽるか君たち曰く
次は「きずな」を学ぼうね・・・やっぱり???
(エゴは終わりかいな? だったら、むちゃくちゃうれしいけど)

さぁ、明日も早起きでがんばりましょい!

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のほほん日記 これでいいのだ茶事 20081207

昨日、亭主 船戸博子先生にお招きいただいて、お茶事を楽しませていただきました。
ご一緒させていただいた坐禅断食の野口法蔵ご夫婦の心からのお話をたくさん聞かせていただきました。
船戸崇史先生も坐禅断食と五体倒地をずっと続けておられます。
お話を聞きながら、滝行や坐禅断食の意味を3つの幸せで感じてみました。

もっと悟りたいというエゴ、自己実現したいのエゴ、ねばならない・こうあるべきだのエゴはあります。お金やお仕事に窮していないので、手放していないけど、貪欲に求めてもいないので、エゴの幸せはマルですね。
きずなは十二分に充たされています。お二人とも奥様に愛されていますから、二重マルです。
病気・健康は・・・これもマルです。
そこで、気づきました。
断食や難行苦行は、自ら肉体を仮想の病気状態にして、3つの幸せがそろわないようにしているのです。3つそろうと、「上がり」で死んじゃいますから。
たしかに経営や研究などの創造的リーダーは、坐禅や修業が大好きです。それもどちらかというと、難行苦行タイプを好まれます。

人生を、今を楽しみなさい、と光は言います。
だから、さまざまなエゴを手放さず、求めすぎずの良い感じのまま楽しみましょう。
きずなが深まり、拡がっていくのを感謝して楽しみましょう。
それでいいのです。
もちろん、お金も仕事とプライドも信用もどん底まで落ち込んで、あるいは、ボロボロに裏切られ、人を自分を信用できなくなるまで落ちて、エゴやきずなの精妙な意味を悟るのも結構なことです。Everything is OK ですし、悟っても、悟らなくても、今を楽しむことにはあんまり差なんてありませんから。

難業苦行も同じこと。五体倒地を100万回やっても、子供がクレヨンで描いた夕日の絵やお花とチョウチョの絵には勝てませんからねぇ。

もうひとひねりすると、エゴの幸せに気づくには、左脳社会に適応しすぎ、うまくいきすぎてしまっている。きずなの幸せに気づくには、相棒に愛されすぎている。肉体だって大丈夫だ。だったら難行苦行をして、神さまに「私は健康じゃありませんよ。3つの幸せはそろっていませんよ」とアピールしなくちゃね。本能的に、あるいは、神さまにやらされている・・・のかも。
3つの幸せが神さまが人間の生きる&死ぬを決める根本原則だから、神さまがこいつはもうちょっと生かしておきたい、と思うと、いきなり悟ったかのように、難業苦行をやり始めさせるのかもしれません。

昨日のお茶事で、一番「これでいいのだ」を悟っていたのは、博子先生と師匠の加藤先生でした。
お二人とも、3つの幸せから「解脱」してしまっているように感じました。
もうすでに、新しい合一:ユニティの世界:愛の世界に住まわれているようなステキなお二人です。
そうです、神さまの3つの幸せは、3つそろうと「上がり」で死んじゃいますけど、3つを手放せると(無垢だけど深遠な悟りです)解脱できちゃうわけです。なんだぁ、簡単だぁ・・・。これでいいのだぁ。

ということで、わたしなりに「これでいいのだ」茶事を存分に楽しませていただきました。いっぱいの気づきをありがとうです。

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宙の友だち

 奈良県橿原市観音寺町で縄文時代晩期(約3000年前)の大規模集落跡が見つかり、目と口を丸で表したユニークな土偶(全長14センチ、幅約6センチ)が出土した。県立橿原考古学研究所が3日、発表した。

 京奈和自動車道建設に伴い調査。土偶は左手が失われている以外はほぼ完全な姿で、大声で何かを叫んでいるようにも。土偶の近くからは、先端に彫刻を施した珍しい石棒(長さ26センチ、幅5センチ)も出土。女性をかたどった土偶と男性の象徴を表した石棒は、共に子孫繁栄を願う祭祀(さいし)に使われたとみられる。調査地では、遺体を納める土器棺墓(かんぼ)16基も見つかり、一帯は集落の墓だったらしい。
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これは直感で、
「宙の友だち」だよねぇ〜 
と思いました。

新しいユニティな愛の世界では、また、どんな宙の人とも、普通にお友だちになれるのですよ、ってメッセージかな。
2008年の終わりに、ちゃんと見つかるように、という祈りを感じました。

今年の紅葉は美しかったです。
どこもかしこも美しかったです。
空気がオレンジ色ぽくキラキラと輝いています。
新しい世界が近づいてきているのを感じ取りながら胸ワクワクしてるけど、
なんだか卒業式の前のように、
慣れ親しんできた校舎や教室の窓からの風景を
ゆったりと眺めているみたいです。うれしいなぁ。

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のほほん日記 笑顔がいっぱい 20081201

12月に入りました。
今日は、なんだか患者さんたちの笑顔をいっぱい見ました。
早起きしたからかな?
7時半開始の外来のために、早寝早起きの練習中です。
朝、お日さまが昇ってくるのを拝むと、なんだか幸せです。

ここのところ、あんまり食べなくても平気です。
食欲がないとか、胃が悪い、というのではなく、
なんだか食べなくても大丈夫なのです。
身体が変わったみたいな気がします。
生まれ変わりの儀式のしすぎで、本当に生まれ変わっちゃったのかしらむ?
まぁ、それもいいけどね。

昨日の東京往復の車中から見える日本の景色は、秋の錦で、それはそれは美しかったです。
普通の町、普通の野山の錦だけど、どこにでも、同じ美が生きているのですね。
あまねく光と影が生み出す美しさも、すべてがひとつ、だれでもどこでも同じだということを感じさせてくれました。
光と影が溶け合う次の愛の世界は、どれほど美しいことか・・・今からとっても楽しみです。

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